「もう十一月だから、蜂なんていないだろう」そんな私の根拠のない思い込みが、一生忘れられないほどの手痛い教訓をもたらしたのは、昨年の小春日和の午後でした。庭の生垣を冬に向けて剪定しようと、私は半袖のTシャツ姿で作業を始めました。アシナガバチの活動時期は夏がピークで、秋風が吹けば自然と姿を消すものだと、どこかで高を括っていたのです。しかし、生垣の奥深く、枯れ葉が密集した場所にハサミを入れた瞬間、私の左腕に焼きごてを押し当てられたような激痛が走りました。驚いて手を引くと、そこには一匹の、足の長いハチが執念深く私の腕にしがみついていました。それは、活動時期を終えようとしていた最後のアシナガバチの働き蜂でした。調べてわかったのは、十一月はアシナガバチの巣そのものは解散に向かっているものの、新しく生まれた女王蜂たちが冬眠場所を求めて彷徨う時期であり、また残された働き蜂たちも、最期の時まで巣を守ろうとして非常に神経質になっている時期だということでした。夏の最盛期のような統制された攻撃ではありませんでしたが、その一刺しに含まれる毒の重みは、私の慢心を打ち砕くには十分すぎるものでした。あの日以来、私の「ハチのカレンダー」は大幅に書き換えられました。カレンダーに記された季節の区切りに頼るのではなく、自然界の温度と彼らの最期の抵抗を、肌で感じるようになったのです。アシナガバチの活動時期の終盤こそ、実は最も「出会い」が危険な時期かもしれません。なぜなら、人間側が完全に油断しているからです。庭の隅に置かれた空の植木鉢、ベランダに干しっぱなしのサンダル、積み上げられた薪の間。これらはすべて、活動時期を終えた新女王蜂が、厳しい冬を越すために選ぶ避難所となります。剪定作業や片付けをする際は、たとえ季節が冬に片足を踏み入れていても、長袖を着用し、事前に振動を与えて中の様子を確認する。そんな当たり前の所作がいかに大切かを、あの時の腫れ上がった腕が今も教えてくれます。自然の営みは、私たちのカレンダー通りには進みません。アシナガバチの活動時期という言葉の裏には、目覚めから最期の一刺しまで、彼らが命を繋ごうとする執念が詰まっています。私たちはその執念に敬意を払い、最後まで警戒を解かずに付き合っていく必要があるのだと、深く反省した秋の一日でした。
秋の終わりに遭遇したアシナガバチの残党と油断の代償