それは、蝉の声がアスファルトの熱気と共に響き渡る、七月の昼下がりのことでした。私が庭の隅で伸びすぎた雑草を抜いていると、ふと、地面に開いた直径二センチほどの穴に、一匹の黒い蜂が自分よりも大きな緑色のイモムシを引きずり込んでいるのが目に入りました。最初はスズメバチかと身構えましたが、よく見ると、それは私が知っているスズメバチとは違う、どこか細身で穏やかな佇まいの蜂でした。その姿に興味を惹かれた私は、スマートフォンで調べてみることにしました。どうやらその蜂は「ジバチ」という種類の、単独で生活する狩り蜂のようでした。巣を直接刺激しない限りは人を襲うことはほとんどないと知り、私はその日から、少し離れた場所から彼らの営みを、夏の自由研究のように観察することに決めたのです。母蜂は、実に働き者でした。日に何度も狩りに出かけては、自分よりも大きな青虫やクモを捕らえ、麻酔をかけて、必死の形相で巣穴へと運び込みます。その姿は、これから生まれてくる我が子のために、黙々と食料を備蓄する、愛情深い母親そのものでした。時折、私が庭作業で近くを通ると、彼女は一瞬動きを止め、こちらの様子を窺うように触角を動かしますが、威嚇してくることは一度もありませんでした。むしろ、そこには「お互い、邪魔はしないようにしましょうね」とでも言っているかのような、暗黙の了解が存在しているように感じられました。やがて八月が過ぎ、庭に吹く風に秋の気配が混じり始める頃、あれほど賑やかだった巣穴からの出入りは、ぱったりと途絶えました。母蜂はその短い一生を終え、巣の中では、彼女が命がけで残した食料で育った新しい命が、来年の春の訪れを静かに待っているのでしょう。最初は不気味に感じた土蜂の存在が、いつしか私にとって、夏の庭の小さな風物詩となっていました。すべての土蜂が危険なわけではない。彼らの世界を少しだけ覗かせてもらったことで、私は自然の営みの奥深さと、性急な判断をせずに対象を理解しようとすることの大切さを、改めて考えさせられたのです。
我が家の庭に現れた土蜂との夏の記録