里山の古民家で過ごす夜、縁側の電灯に引き寄せられてやってくるガガンボたちの姿を見ていると、私はいつも、彼らが背負っている「宿命」の儚さに胸を打たれます。都会の人々が「ガガンボに刺された」と騒ぎ、殺虫スプレーを手に取るその傍らで、彼らはわずか数日間という限られた持ち時間を、ただひたすらに、そして愚直に生き切ろうとしています。あの重厚な、しかしどこかおぼつかない羽音を聞きながら、私は彼らを「刺さない蚊」としてではなく、一編の叙事詩を生きる主人公として眺めるようになりました。ガガンボの成虫にとって、この世に現れた瞬間から、死へのカウントダウンは始まっています。多くの種において、彼らには食事を摂るための時間がほとんど与えられていません。幼虫のときに蓄えたわずかな栄養を燃料にして、広大な闇の中を、運命の相手を探して彷徨うのです。私たちが室内の明かりで彼らの航路を狂わせてしまうことは、彼らにとっては命を削る大きなロスとなります。壁にぶつかり、畳の上で足を一本失いながらも、なおも光を目指して羽ばたくその姿に、どうして殺意を抱けるでしょうか。彼らは私たちから一滴の血を奪うことも、病を運ぶこともありません。ただ、間違えて開いた窓から迷い込み、出口を見失ってパニックになっているだけなのです。かつて私は、寝室に現れた大きな影に怯え、タオルを振り回して追い出したことがありました。しかし、翌朝、窓枠の隅で力尽き、完全に乾燥して塵のようになろうとしているその骸を見つけたとき、言いようのない申し訳なさがこみ上げてきました。彼にとっての最後の一夜を、私は恐怖という独りよがりな感情で汚してしまったのです。今、私は部屋にガガンボが入ってきても、明かりを消して窓を大きく開け、彼が自力で夜の森へ帰っていくのを静かに待ちます。ガガンボの寿命の短さを知れば、その巨大な姿は威圧ではなく「必死さ」の現れに見えてきます。彼らは自然界の大きな循環の中で、鳥を育て、土を肥やし、その役割を終えて静かに消えていく、謙虚なバイプレイヤーなのです。刺される心配がないと分かれば、私たちはもっと純粋な目で彼らの翅の透明さや、脚のしなやかさを愛でることができるはずです。里山の夜、月光に照らされて舞うガガンボの影は、私に「限られた時間をいかに懸命に生きるか」という、古くて新しい教訓を、無言のうちに語りかけてくれています。ガガンボとの対話、それは私にとって、生命への畏怖を取り戻すための、静かで贅沢なひとときなのです。
月夜に集う巨大な影との対話を通じて知るガガンボの無害な一生の叙事詩